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サントーシュ・オスワル氏の探求
2010年08月13日 印刷 友達にメールする
ひとりの男がいる。

原文:Questions for Santosh Ostwal

ひとりの男がいる。名はサントーシュ・オスワル(Santosh Ostwal)。夫であり、2児の父であり、2001年、ホームレスになったこともある。20年来考え続けてきた工学的問題の解を探求していたさなかに職を辞し、家賃を払えなくなったアパートから追い出されたのだ。だが彼がついに見つけた、 携帯電話を利用して遠隔にある灌漑ポンプを作動させる という、一見単純な答えは、インド国内において水資源の節約と、1万人あまりの農業従事者たちを苦労、とりわけ日々の日課であった危険を伴う徒歩の長距離往復から開放した。(原文コラムの)筆者は ポッドキャスト での配信を目的として今年はじめ、サントーシュ氏にインタビューを行った。今回はさらに深く掘り下げて、インドにおけるジュガード(Jugaad、間に合わせで組み立てた安価な工業機械、ひいては革命的なアイデアで苦境を乗り切ることを指す)、いわゆるシンプルな大工道具を手に、額に汗して産み出された発明を紐解いてみようと思う。

1981年、オスワル青年は夏休みを利用して、プネ近郊にある村に住んでいた親戚のもとに滞在していた。82歳になる祖父は、壊疽により片足を失い、杖にすがって歩いていたが、毎晩夜半になると、手塩にかけ栽培したオレンジの出荷品質を保つため、1マイル(およそ1.6キロ)も離れた場所に設置された給水ポンプへ出かけていってはスイッチを操作することを日課としていた。この村では日中、水も電気も近隣の工業ベルトへの供給が優先され不安定であったため、祖父は不自由な身体を押して毎晩、10回ほども給水ポンプへ往復していた。オスワル青年は祖父を助けたいという強い希望を抱いたが、学生の彼には成すすべもなく、胸を痛めた。

7年後、工学部を出た彼は再び祖父の村を訪ねた。以前と変わらぬ状況が、そこにはあった。遠隔から操作できるようなスイッチをつけてはどうかと提案した彼に、農夫たちは驚くべき反応をしたという。

「面白いことを話そうか。ポンプが遠くにあることなんて、彼らにとっては問題のうちに入らないというんだ。代々続いている日課だからって。『おまえは何をそんなに気を揉んでいるんだ』と言われたよ。『ちょっとした距離を毎日歩くことなんて何でもないよ。他に俺たちに何の仕事があるっていうんだい。若いやつには苦労させておけば、毎日の食事にありつけることに感謝する気持ちも強くなるだろうよ』ってね」

この反応には度肝を抜いた彼だったが、その時点ではあまりにも課題が山積されていたことから黙って聞き流し、人知れずひそかな計算を始めた。

「マハーラシュトラ州内だけで、自治体が管理する給水ポンプは全部で310万本ある。インド全土では、これは10億本を上回る。農夫たちは設置された給水ポンプが自宅から離れていても、毎日出かけていってスイッチを入れることに、あまり違和感がない。一方で、わざわざ給水スイッチを切るために、また長距離を歩かねばならないことには強い抵抗があることが分かった。このため、大量の水と電力の無駄が発生していた。例えば5台のモーターでは4〜5時間分の水、すなわちおよそ1,000リットルが毎日無駄に垂れ流されていることはおろか、土壌の腐食を引き起こし、結果として生産高の低下をもたらしていたんだ。15日間、村に滞在して決意した『これを俺のキャリアテーマにしよう。灌漑の自動化、これしかない』。1991年のことだった」

まずは2ドルの目覚まし時計への投資だ。農夫がセットした時刻になると、アラーム音がポンプの始動装置につながったコイルにシグナルを流す。分かりやすい原理だが、アラームが1回しかセットできないのが難点だった。ポンプのスイッチを切るために、農夫は結局また畑へ出掛けていかねばならない。オスワル氏は毎晩、真夜中にスクーターを走らせ(スイッチを切っていき)、マルチメーターとオシロスコープを取り出し(給水量を知らせることで)、徐々に農夫たちの理解を取り付けた。だが、新たなジュガードを試作するたび、厳しい忠告が飛んできた。

「ヘマをしてみろ、弁償させるからな、と言われましてね。『今晩はサトウキビ畑に水を撒かなければならない。ポンプがうまく作動しなかったら、損失分の費用を負担させる』と迫られました」

日中、オスワル氏は農夫たちの行動を観察し、ワークショップを開催して意見の収集を行った。同時に氏の妻も、ワークショップの夜の部を担当した。

「妻は電子工学系の技術者だったので、寝室で色々なものを組み立てていたよ。俺はそういうものを日中、畑に持っていって実験したものだ。彼女は夜中に作業してて、俺が午前2時とか3時に帰宅すると、決まってこう尋ねたものさ、『明日はどの道具を持っていく?』。俺は半分眠りこけながら、日中自分で改造した道具を手渡し、朝6時に畑に出る前に試作機を作っておいてくれって頼むんだ。そうしたら真夜中の3時というのに、彼女はせっせと作り始めるんだ。3歳と1歳の幼子が眠っている横でだ」

1998年ごろになると、目覚まし時計の案をあきらめ、インド通信省から割り当てられた無線電波を利用した遠隔操作の方法を考え始めていた。それにはまず、通信省の役人を説得して、オスワル氏が試そうとしている遠隔操作は爆弾を仕掛けるような威力はないということを証明しなければならなかった。これには膨大な費用を必要とした。つまり技術を運用するライセンスを取得するのに、5万ルピーもの費用がかかるというのだ。2001年、資金を使い果たすと同時に、本来であれば彼の求める解には、これほどの出費を必要としてはならないと初心に返る。

「9ヶ月間ほど、食べ物もろくにない状態だった。俺も、妻も、2人の子供たちも、ひもじさに耐えていた。大家からは家を追い出され、2002年、ついに路上生活さ。発明なんて言ってられない状態に陥ったんだ。もはや持続不可能だった。ちょうどその頃、携帯電話が普及し始めていた。忘れもしない2003年のガネーシャ・チャトゥルティ(始まりの神、ガネーシャの降臨を祝う年に一度の祭りの日)の朝だった。俺はひらめいた。『なぜあんなライセンスに固執していたんだ?携帯電話のワイヤレス通信と同じ技術を使えないだろうか』俺はすぐに試してみた。驚くなかれ、たった15分で、長年求めていた結果を、デカいモトローラT180(機種)が手にしたんだよ。どうだい、はっはっは。だから高額なライセンスなんかに無駄金を使うのをやめて、携帯電話を利用したワイヤレス通信を採用することに決めた。この日を忘れないように、俺のサービスを『ガネーシャ(Ganesh)』と名づけた。ほどなく携帯電話はどんどん小さくなったから、『ナノ(小さな)ガネーシャ』と改名した」

今年、フィンランドの携帯電話世界最大手、ノキア(Nokia)がスペインのバルセロナで開催した「モバイルイノベーション・コンテスト」の授賞式で、オスワル氏は世界中から集まった観衆の前に設置された電気ポンプを、はるか彼方プネの携帯電話から操作してみせた。「ナノガネーシャ」は数千の候補者を抑え、新興国部門の最優秀賞を受賞した。現在、エジプトやオーストラリアでも応用されている「オシアン・アグロ(オスワル氏の農業改革)」は、世界中のベンチャー投資家を引き付け、オスワル氏はさらなる持続的な収益モデルを模索している。しかし氏自身、この発明自体が特許を取ることはできないことを認めており、むしろ金儲け主義でない限りどんな参入者をも歓迎している。

オスワル氏が、この問題の解を見つけることができたのは、まぎれもない自身の家族を含む農夫たちの非効率的な日常を、十数年にわたり観察し続けたためだ。これはおそらく、そうした事象に日常生活で触れることのない都会の技術者たちには思いも及ばないことだったろう。オスワル氏は技術者の資格こそあるが、同時に人道主義者でもあると言って過言ではない。

「はじめのころは、農夫たちには笑われたり、また変な実験を始めるものだから時には恐ろしがられたりしたものだったよ。そんな時、ずっと傍で支えてくれたのは妻さ。信じられるかい、いまや、俺の妻と養子縁組を希望する家族が殺到してるんだぜ。俺は幸せ者だ」

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